one two

 唐沢氏がこんなにも上機嫌なのは稀らしいことである。老夫人の伊予子には、それが嬉しいというよりも、何かちぐはぐな不安な感じが先きにくる。一体に明るい性分ではあるけれども、身をもんで高笑いをするというようなことは、これまでに無いことだった。裡に盛りあがってくる活動力の愉しさが、つい笑いになってこみあげてくるという風である。この変りようが老夫人の心を妙に落付かせない。ひとつには、この頃特に目立つ唐沢氏の劬り深さということにも、夫人の心は拘泥りをもつのである。元から優しい方ではあるけれど、それが近頃は故意に、その優しさを誇示しているようなところがみえる。
 出社前のいっ時を庭へ下りて万年青をいじるのが慣しの唐沢氏は、今朝も、屋根のかかった万年青棚の前にしゃがんで水にしめした筆の穂で丹念に葉の間の埃りをはらっていたが、ふと、縁に立った老夫人の気配に振りかえって、
「どうだね、この入舟の光沢は」
 自慢げに背を斜に反らせて、足元の万年青鉢へ眺めいる恰好になった。

 この町には、七の日毎に市が立つ。老い萎えている町の呼吸が、この市日で、微かに保たれているようである。「五城目の市日」といえば、昔から、この近郷の人々が寄り集う慣わしであった。
 町の目抜き通りの上町下町をとおして、両側に、物売りが並ぶ。人が出盛る。
 この物語りは、漸う山々が白くなりだした頃からはじまる。この頃の季節には、近くの八郎潟からあがったばかりの白魚だの小鮒だのが、細い藻なんどのからんだまま、魚籃から一桝いくらで量られる。雷魚売りの呼び声が喧ましくなるのも、もう、直ぐである。買い手は、ブリコ(卵)のたっぷりとはいったところを素早く選み分けようとして、売り手との間に小さな諍いが起る。

いかに落ちぶれたとて生れた土地だもの、岡村の家へは頓着なしに是が非でも皈ろうと意気まく良人をなだめて父の許へ無心のたよりをやりましたところ、母の名前でこっそり十円、別に小豆だの小麦粉だのを、親爺さんには言わんといて、と副え書きして送ってくれました。どうせ店にある品故、こうして時折り送りたいとは思うのだが親爺さんの頑固がいまにとけず、この十円をまとめるのも並大抵の苦労ではなかった、と母のたより、ただただ有りがたさで胸のふさがる思い。その金で養生をします内、何んとした不仕合せなことか鶴江がチブスみたようになり一時はとても難かしく、病める父と病める母が交る交る抱いて明しましたのも幾夜でしょう。太夫元からは鶴ちゃんの病状が病状故若し避病院へでもやられては興行をさし止められるから、とて医者にかけるのを拒まれたり、そのつらさといったら申し様もございません。